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2017 02,12 20:00 |
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□ その幼子をはじめて目にしたのは、村の老人らに見守られながら、虫とりに夢中になっているときだった。 昨晩、クヌギの木に登って新しい罠を仕掛けたのだ。高い枝の股に腰掛けて、期待に胸を高鳴らせながらふたを開ける。 「いる……、すごい……」 樹液を舐めに来て捕まった昆虫たちが、中でうごめいたり、諦めてじっとしていたり、あるいは他の虫に捕食されたりしていた。大量だ。頬がゆるむ。袋状のそれを、奥のほうまでもっと見ようと揺すったとき、脱出口の解放に気付いた一匹のセミが、びびび、と大きな声をあげて、勢いよく飛び出していった。 「うわっ」 とっさのことで、飛びあがってきたのを避けるのが精いっぱいだった子どもは、顔に小便を浴びた。目をつぶってはいたものの、心地の良いものではない。悔しさにうめき声を漏らしながら、短い袖で、顔をぬぐった。下から年寄りたちの笑い声がする。坊主、詰めが甘い、と。 「もう、馬鹿にするなよう」 こんなにたくさん捕れたのだ。一昨日の夜の仕掛けと比べて、間違いなく改良できている。セミはあの一匹だけだったようだが、カブトムシ、クワガタ、カミキリムシ。チョウをかじってご満悦のカマドウマも数匹。むしろ、あのセミがこの袋の中で一晩生き永らえたのが奇跡だったのかもしれない。今度こそ逃すまいと、白い袋の口を紐でくくった。それを適当な枝にぶら下げて、目下に広がる田んぼを見渡すと、水面はきらきらと輝いていた。よく晴れた日の夏風を受けて揺れる青い幼穂を、父母や村人たちが世話している。来年になってもう少し背が伸びたら、自分も手伝うのだ。それまでは、元気に遊ぶのが仕事だと言われていた。 つい、と視界を何かが横切る。空に溶け込む淡い色の胴体からすらりと伸びる四枚の羽根が、ちらちらと陽光を反射しながら、漂っている。子どもの目の前をゆっくりと移動するそのさまは、まるで捕まえてごらんとでも語りかけているようだった。 「いひひ。待ってろよ」 注意深く足元を確かめ、近場の枝に移動する。近づいては離れ、近づいては離れ、と繰り返しているうちに、トンボは追いかけっこに飽きたらしい。しまいには逃げられてしまった。けれども、袋の中にはあれだけの虫がいるのだ。潔くあきらめた。気付けば、より高い位置に、幹を半周ほどしていた。父母のいる田んぼを見下ろそうとしたが、樹のちょうど向こう側に隠れてしまって、適わなかった。代わりに見えるのは、でこぼこと生い茂った雑木林と、その間からちらりと覗く、古びた小屋だった。おそらく、村のはずれの方面だ。あんなもの、あったろうか。 「知らない景色だなあ」 本当に、ずいぶんと高いところまで登ったものだ。木に登るとき、いつもは決まりの足場の手順、足順があって、その通りに登ればいつでも同じ景色を眺めることができた。しかし、今はそれを越えた、未知の景色の中にいる。木陰に吹きとおるさわやかな風が頬を撫でる。子どもは気分が良くなって、腰掛けている枝の上で、振り子のように膝をぶらつかせた。そうしながら、もっと簡単な虫とり罠やおもちゃの作りかたや、今夜はあの虫を、父ちゃんとどうして遊ぼうか、そんなことを取り留めもなく思い、ぼんやりと雑木林を眺めては、腹時計を頼りに昼時を待っていた。 「うん?」 昼は昆布茶そうめんだったらうれしい、母ちゃんの漬けた、あの梅干しの酸味がたまらない、などと口の中につばを溜めはじめた頃、小屋から白いものが出てきたように見えた。 「なんだろう? だれか、住んでいるの?」 目をこすって、もう一度見なおすと、白いものは、ひとの形をしている。白い髪、白い肌、白い着物……。 「だれか、死んだの……?」 知っている。すこし前に、祖母が他界したとき、親戚のみなが集まって、白い服を着せた。足袋を履かせて、お金を持たせて、あの世で困らないように準備をした。けれども、これは違う。子どもは、知っていた。 「違う……。死装束を着るのは、死んだ人間なんだ。だから、着ているひとは、立って歩いたりしない。きれいな箱に入って、目をつむって、それから、旅に出るんだ」 そもそも、ちいさな村だ。村に死人が出れば、その日のうちに、村中に訃報が届き渡る。あれは、なんなのだ。 「白髪だけど、村でもうすぐ死にそうなばあちゃんなんていなかったし」 それに、この白いものは、とても小さい。もぞもぞと林の中を動く姿は、遠目から多めに見積もっても、四尺あればいいほうだ。 「まさか、膝から下が、ない、……とか?」 すう、と自分の身体が冷えていくのを感じた。ゆっくりではあったが、確実にこちらの方角へ向かっている。せめて顔がわかれば。否、幽霊ならば、むしろ見ないほうが幸せなのだろうか。木の幹に抱きついて、息を殺して様子を見守る。 時折、雑木林の葉がその上に被さって、枝々の間から白い影がちらちらと動いた。 「あれれ。なんだか、寄木細工みたい」 白に、深みの異なるいくつのも緑が混じって生み出される細かな模様に魅入って、いつの間にか子どもの緊張感は薄れる。けれども、茂みが薄くなり、村の中心部に近づいてきたときである。 「あ、……」 ゆらりと顔を向けた白い「それ」と、確かに視線が合った。暗く冷たく沈んだ、深緋の瞳。 「に、人間の目じゃ、ない……?」 子どもには、身も心も凍りつくほどの、味わったことのない恐怖だった。 「あ……っ!」 脂汗で手を滑らせて、身体の重心が崩れる。幹から離れかけた身体を、どうにか引きつけた。 ――まさか、「あれ」と目を合わせたから? 根拠のない不安が蔦のように伸びてきて、緩やかに頭に、首に、胸に、巻きついていく。奇妙に高ぶった手足の指先には全身の血液が集まって、勢いよく吹き出しそうなほど強く痛んだ。たった今まで何ともなかった空の高さが、急に恐ろしくなる。あれも怖い、これも怖い、もう動けない。そう思って幹にしがみつき、硬く目をつぶってどれほど経ったかわからなくなった頃だった。 「カイト! 飯にするぞ!」 大樹の下から、明るい声が響く。この子どもの父親である。 「カイトー、降りていらっしゃい! お手伝いして」 母親も続き、カイトは目を開けてゆっくりと目下を見下ろすが、すぐに情けない声を上げて木にしがみついた。 「た、助けて! 降りられない!」 下にいる大人たちが笑った気がしたが、カイトにはどうしようもない。 「本当、助けて……」 見かねた父親が、尋ねる。 「片手なら、空くか?」 □ 間もなくして、母親が大きな円盤と、長い縄を持ってきた。動滑車の原理を利用した、人力の仕掛けだった。 「順番に投げるぞ。受け取れ」 「うわっ」 父親が縄を重さの働く向きに慎重に送りこむこと数十秒、カイトはようやく地面に足をつくことができた。 「た、助かった……」 緊張の糸が切れてよろついた息子を、母親が抱きあげる。 「高いところまで登って、降りられなくなってたのね」 珍しくそうだったのだ、と返事を仕掛けたところで、我が身に降り掛かった危険すら忘れて、気になることを尋ねた。 「ねえ、さっき、幽霊が歩いてた」 「幽霊? そんなのが昼間から、どこ歩いてたんだ」 父親は、話半分で聞き返す。 「あっちの林に小屋があってね、そこから、……父ちゃん?」 「……鳥かうさぎか、何かの見間違いじゃないのか」 「違うよ。さっき本当に白い服着た小さいひとが」 この時期に白い生き物など、山にはいない。返答に困った父親に、母親が助け舟を出した。 「カイト。よほど怖い思いをしたのね。父ちゃんと母ちゃんが迎えにきたからには、もう大丈夫よ」 若く溌剌とした、それでいてどこかかわいらしさの残る母親が、首に掛けていた手拭いを握り締め、逞しい笑顔を我が子に向けた。 「母ちゃんまで」 「心配なら、おまじないにそうめんの梅干しを二つにしてあげる。こわいのこわいの、飛んでいけ~」 子どもは、なにか腑に落ちぬまま、家路についた。 PR |
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