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2020 03,05 16:00 |
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房中術は中国がルーツの、気を扱う健康法のようなもので、 正式・厳密には各自でお調べいただければと思いますが、 ざっくり言うと性行為を通じて自分・相手との間で 生命エネルギーを出し入れしたりする技術です なむあみ蓮台において、 天部のみなさんにはインド神話時代のエピソードもなんとなく付いている、ので なぜ中国? と思われそうですし、私もそう思っていますが、 仏教自体はもちろん中国に広まっているわけで、 中国風の服を着た帝釈天・梵天像なども実際あるわけです ここから下が私の勝手な気持ちなので、遠慮しつつも勝手に書かせていただくのですが、 宗教って、広く知ってほしいから、布教や伝来などの単語があるわけですよね なむあみの帝釈天も阿修羅も、釈迦マインドに感銘を受けるよりも前から、 当時の自分たちが感じていた使命を果たすため、広く知ってもらうために 例えばアニメではアーシャたちのいた集落以外にも、各地を巡っていたのですよね 神様って、縄張りみたいなものがあって、 特定の地域にしか姿を現すことができないのでしょうか? 私は、少なくともすべての神様がそうとは限らないといいなぁと思っていて、 帝釈天と阿修羅がまだ仏ではなく、神としての意識が強かった頃、 当時のインド以外の地域にも足を延ばしたことがあったらいいなと 思ったのです 色々な説があるようですが、房中術は、様々な理由で衰退してしまいました その原因のひとつに、仏教の伝来があるそうです どんな文化・習慣のはじまり・おわりにも、様々な事情があります ひとつの技術を衰退させた可能性のある仏教を 悪く言う意図はここにはありません 帝釈天と阿修羅は、釈迦や梵天の「見守るスタイル」とは異なり、また、 「仏の教え」を持たず、直接的な介入を是としていました アニメ7話でも、村長らしき高齢男性やアーシャと直接会話を交わし、労働をし、 人々の生活や感情を肌で感じながら暮らしてきたのです そういう彼らなら、その土地土地の習慣やまじないなどを、 人々から教わることもあったでしょう そのひとつとして、房中術を偶然、(私が)イメージした、というのが 私がなむ二次で房中術を取り上げた経緯の一部となっています けれども彼らは人間ではなく、土着の神でもなく、ほんの短い間の滞在だったため その土地の習慣のすべてを正確に忠実に理解していったとは考えづらく、 帝釈天と阿修羅にしかわからない独自の何かとして 取り込まれていっていたら……、いいなぁ……と それから、実際、忠実に書こうとするならば、 そもそも気よりもチャクラの扱いを先に会得している背景があったほうが インドらしくて、良かったはずなのです しかし、気付いたら房中術で お話を1本(当時は『献身の華は一輪にあらず』)書き終えていたので、 もう、このまま進もうと思ったのでした 帝釈天と阿修羅は、なむあみの世界では、十三仏や梵天よりもあとから 釈迦サイドに入るということになります そのぶん、そこに触れる前の思い出がたくさんあるはずです 帝釈天と阿修羅の長い歴史、旅の思い出のひとつとしても、 異国の地で味わった、身につけた、様々なことが今も 彼らの中に生きているといいなと思ったのです さて、ここまでが主にアニメ版について思ったことでして ゲーム版についてはまた、別のことを思っています ゲーム版では、帝釈天だけが房中術らしき技術に出会っていると 私は勝手にそう思い込んでいます 帝釈天は、阿修羅と出会うまでは他の存在と旅をしていて、 その時代に性行為に付随する気の扱いを学び、 阿修羅と共闘するようになり、 阿修羅にも伝えないわけにいかない事件が起きてしまう…… その辺りのお話を今後書いていきたい気持ちがあるので 時間と身体が、運よくついてきて 書きあがったものをお読みいただけらうれしいなぁと思います ここまでお読みくださりありがとうございました PR |
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