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2012 10,26 23:15 |
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無人島において唯一意識のあった白い少年は、驢馬のように過酷な肉体労働を余儀なくされた。流れ出る汗に手を滑らせながら、背中に負った青年の腕を何度も抱え直し、ずり落とさぬよう姿勢を屈め、目の前の老人の腰に注意深く力を加えた。炎天下の中、元来た浜辺を目指して進み続けるためだった。伯爵の腰を押して力ずくで歩ませるなど無礼である、或いは、裏切り者の青年など置いてきてしまえといった一般的な意見はルークの心の中には湧いてこなかった。 否、純粋なギヴァーの精神を持つルークの考えでは、それらの意見はむしろ一般的などではなかった。厳しい日差し、高温多湿のこの島で、このまま放っておけば2人とも死んでしまうことは確実だ。パズル以外の理由で人が死ぬなど、まともなギヴァーならば到底許すことのできない行為のはずだった――などというのは、大義名分だ。 ――彼らには、大切な役割があるんだ。カイトと、僕が、素晴らしい概念を共有するための、崇高なパズルのピースとしての、ね……。 大人と呼ぶには未だ頼りない身体つきの少年は、全身の疲労に負けず、POGの黒い航空機に向かって黙々と歩を進めたのだった。その眉間にこそ力んでいたが、曇天のような暗く蒼い瞳は爛々とした輝きを湛えていた。 伯爵は、機内で意識を取り戻した。 「あ……! ご無事で、良かった……」 「……、……」 伯爵が目を覚ましたとなれば、島の中心部で起こった出来事について、幾つか確かめずにはいられまい。ルークが口を開きかけると、伯爵のほうから興奮した様子で話を始めた。 「ついに、私は人類叡智の集大成を手にしたのだ……」 □ ルークは浅く溜息を吐いた。 日本支部を空けてから数週間が経過していたが、伯爵は未だ書斎に籠りきりとなっていた。白い少年は伯爵から直々に頼まれ三食を運んでいたが、トレイを下げるとあまりよく召し上がってはいないようだった。 POGの業務も溜まっていく一方で、このままの状態が続けば、ピタゴラス伯爵がいくら有能とはいえ、近いうちに捌ききれなくなることは明らかだった。ルークの判断で、伯爵のアカウントを用いて連絡システムにログインし、細々とした業務を相応しい構成員に分配することを試みた。 「送信先の選択は……」 同時に別のブラウザを立ち上げ、幹部レベルの構成員名簿の中から今後の計画の促進が期待できる人物を注意深く吟味した。欧州、中東、亜細亜……、現在置かれた役職に関係のある地域にチェックを入れた検索結果に目を通したのち、或る人物にその役割を定めた。 ――極東本部長。ヘルベルト・ミューラー。 名前こそ独逸出身のようだが、彼自身は意外な支部から極東に進出している。広大な土地、高度の文明と重厚な歴史を誇る大陸から生み出されたギヴァーの業績とはどれほど輝かしいものだろうかと、彼のプロフィールと行動録を確認すると、思わず鼻から笑いが漏れた。一言で表現すると、丸きり親の七光りなのだ。 「彼ならば、喜んで引き受けてくれることだろう……」 白い少年はメールの編集画面を開き、伯爵に成りすまして暗号化した連絡事項を送信した。通常はメールに具体的な内容を記すことは好ましくない。しかし、伯爵に謁見できない現状と緊急性を考慮すると、従来の連絡方法に拘りを求めることは難しかった。もちろん、誰にでも読めるような書き方はしていない。暗号を解くと情報へのアクセス方法が分かる仕組みだ。ヘルベルトの好みそうな傾向の出題をしたため、彼がこの情報に辿り着けない可能性は低く、逆に、彼以外の構成員に解読されてしまう可能性も低かった。送信完了の画面を見届けた後、ルークは伯爵の書斎の隣室を後にした。 □ 「ジン……、口を開けて。お夕飯だよ」 ルーク・盤城・クロスフィールドは、伯爵の世話と同時に、裏切り者の元構成員の介抱に努めていた。 真方ジンは、伯爵に数日遅れて自力で起き上がった。初めのうちは純粋に喜んでいたルークだったが、彼の異変に気付くまで、さほど時間はかからなかった。それから何日経過しても、「人」として「何か」をするには無気力な状態のままなのだ。自ら食べようとしない。動こうとしない。生きようとしない。 うとうとしては目を覚まし、光のない瞳でどこか遠くを見つめ、再び眠りに就く、その繰り返しだった。言葉を投げかけても反応は薄く、発話による返答が得られたことは一度もない。けれどもルークは辛抱強く、穏やかに話し掛けながら食事を与え、身体を拭き、着替えを手伝ったが、全く変化は見られなかった。 ジンのために用意させた豪奢な椅子に座らせると、いつものように背中をさすり、声を掛け、蓮華で軽く唇をつつく。 「……、……」 「あぁ、ほら、駄目じゃないか。零れてしまうよ」 厳しい言葉遣いと裏腹に、その声色は温かく甘やかだった。青年のだらしなく開かれた口の端から垂れ落ちる粥を白い指先でそっと掬い、そのまま口に含んだ。 「しょっぱいね」 日本人の好むこのリゾットには牛の乳が含まれず、ほとんど塩の味しかしない。米だけでは養分が不足するので、鶏卵、鶏肉、長葱に、人参、椎茸……、料理のできる者に頼んで具材を加えさせた。 「僕にはよく分からないけれど、ジンたちはこういう味が好きなんでしょう?」 ――ジン「たち」は。 「……あ、」 何気なく発した自分の言葉が、心のどこかに引っ掛かる。 「…………」 懐かしいはずの瞳は焦げ茶色に暗く沈み、何の表情を映すこともない。グレートヘンジの丘の上で過ごしたあの頃のような、豊かな表情の詰まった彼の瞳が開くのを心待ちにしていた先日までの自分を思い出しては、現実との落差に胸苦しさを覚えた。 「ねぇ、もうすぐ、……元気になれるよね?」 蓮華を持つ手が震えるので、大きな椀の縁に沿わせるようにそれを置いた。ジンの座る椅子の隣に跪き、白い総責任者の制服の裾を握り締めると、自然と涙が溢れ出る。 「また、色々なことを……、教えてよ……」 「…………」 水の流れは止まることを知らない。後から後から頬に道を作っては、首筋を渡り、或いは、白く繊細な睫毛を伝っては、緋く美しい絨毯に落ち、吸い込まれていく。 「どうして、……ッ、何も、答えてくれないの……っう……、また、カイトと一緒に、3人で……、パズルの、話を……。……、……ッ?!」 突然ジンがルークのほうに向き直り、両肩を掴んだ。 「な、に……?」 驚いてジンの顔を凝視すると、唇が微かに動いているのが分かった。初めに口を縦に開き、続いて唇を横に引き。最後にもう一度口を縦に開いたが、最初ほど大きくなかった。少年は、自ら発した言葉の真意に思い当たり、懼れた。 「そんな……」 ――ジン「たち」。そう。初めから、僕は…… ルークだけが、日本人ではなかった。 ルークだけが、故郷の味を知らなかった。 ルークだけは、瞳の色が碧かった。 ルークだけが、ギヴァーだった。 けれども2人は、よく似ていた。 同じ肌の色。瞳の色。母語。味覚。記憶。能力。感性。 同じ……、皆、同じ……。 カイトのほうばかり、見て。 カイトにばかり、親しげに話し掛けて。 カイトにばかり、パズルを教えて。 カイトのことばかり、褒めて。 カイトの頭ばかり、撫でて。 カイトばかり、可愛がって。 いつも、カイトの、ことばかり……。 ――僕は、いつでも……! 「嫌だ! 離せ!!」 瞬時に考えを巡らせると、反射的に青年の手を振りほどく。青年が立ち上がるのを受けて、ルークは後ずさって逃げた。本棚に背中が当たると後ろ手に本を抜き取って掴み、青年に向かって投げつけた。 「カイト! カイト!! 僕だけの! 僕だけが!!」 ――お前さえいなければ、カイトと僕は、ずっと2人きりで過ごせたかもしれなかったのに! ばさばさと大きな音を立て、青年の腹や胸に重く硬い本が当たる。生気のない青年はそれらを避けようともせず、目の前の孤独な少年の癇癪を、ただ黙って見下ろしていた。 □ 「……、ン……?」 顔の辺りに何か温かいものを感じ、ルークは瞼を開いた。しかし、意外な眩しさに、すぐに目を眇めた。どうやら絨毯の上で仰向けになり気を失っていたらしく、不自然な姿勢のために身体の節々が痛んだ。 「……、……」 「ジン?」 温かいものの正体は、ジンの掌だった。傍にしゃがんだまま左の頬を包み込むように触れ、ルークの左瞼から漏れる緋色の輝きをずっと覗き込んでいるようだった。前髪が捲れたせいでいつもより広い視界に懐かしさを覚えた。白く無邪気な少年は、寝起き特有のぎこちない動きで、青年の右手に自分の左手を重ね、両の瞳で青年を見つめ返した。 「あぁ……、そうだね。ジンと同じ。カイトもだよ」 乾いた涙の痕が突っ張る。けれども、ルークは安堵し、小さく微笑んだ。カイトと、真方ジンと、3人の共通項を見つけたからだ。 「ありがとう。僕が眠ってしまったのを、心配してくれたの?」 ゆっくりと身体を起こし、子どもの頃のように抱き着こうとしたが、胸元に目を遣り、広げた両手の動きを止めた。鎖骨の下あたりに、筋状の擦り傷ができていたからだ。 「ごめんね。ジン。さっき……」 優美な白い指先で、生傷を恐る恐るなぞる。血は出ていないが、薄く鬱血しており、すぐに消えそうにはなかった。 「……お夕飯の続きにしよう。お腹が空いたよね」 ルークは複雑な表情を浮かべながら、折れてしまった本を拾い上げる。頁の皺を丁寧に伸ばすと、元あった位置へ静かに納めた。再びジンを椅子に座らせ、すっかり冷めてしまった粥を彼の口元に運び続けた。 □ 久しぶりに日本支部へ帰還した上司の姿を見て、ビショップは言葉を失った。代わりに気まずい空気を破ったのは、軽薄さを絵に描いて貼ったような男・ダイスマンだった。 「ルーク様、どうしたんッスか、輝かんばかりの美白が黒ずんじゃって……。しかも、若干おやつれになっているような……。あ、メシとかどうしてたんッスか? ちゃんと食ってました?」 メイズはその態度に顔をしかめたが、あえて注意はしなかった。ダイスマンの質問が的を射ていることは、認めざるを得なかったからだ。 「大丈夫だ。心配ない」 「ですが、ルーク様、」 「長い間任せきりにしていて済まなかったな。フンガ、近況報告を」 「は」 ようやく発言のタイミングを掴んだビショップだったが、いつもの調子で言葉を遮られ、意思を伝えるには至らなかった。 ルークには、未来が見えた。このような表現をすると、非現実的で、あたかもオカルトのような印象を抱かせるかもしれないが、そうではない。人間には本来、自らの経験を記憶し、学習し、それらに基づき今後起こりうる出来事について想像する能力が備わっている。オルペウスの腕輪は、契約者の能力を最大限に活性化させる。そのために、最もとるべき挙動についての選択が、少ない情報量から、遠い将来についてまで、或る程度の確実性を以て行えるというだけの理屈だった。 2年後に予測される、大門カイトの移籍。これは伯爵とルークの腕輪の力を借りての共通認識であり、他者に理屈で説明できるほど充分な具体的根拠は持ちえない。けれども、POGにおいて絶対視される腕輪の契約者の発言に、あえて疑問を投げかける者は少数だ。その予測の確実性について証明を求められることは、現実として起こり得なかった。 また、展望する未来像は、個人の特性や手持ちの条件の変化によって、変動した。ルークには、伯爵には見ることのできない未来がもう一つ、見えていた。もっともその事象は、腕輪を持たざる者であっても、現状を目の当たりにしてさえいれば、誰もが抱く想像の範疇の出来事だった。しかし、時期を正確に言い当てることができる人間がルークだけだったということは確実だ。 □ 時は流れ、ファイ・ブレインの白い少年が17回目の誕生日を迎えた頃だった。 片手で器用にトレイを支え、指紋認証パネルに数回タッチを行うと、少年は伯爵の書斎へ足を踏み入れた。 「伯爵。失礼します。御食事をお持ちしました」 伯爵は作業に熱中するあまり、日に日に食事量を減らしていった。食べ残す量が増えてきたので、それを見かねたルークは配膳の回数を1日3回から2回、しまいには1回へと変更した。実際、伯爵は徐々に、周囲の物事を充分に認知できなくなってきていた。加齢による認知機能の低下ではなく、腕輪の副作用だ。脳のほぼ全ての領域を唯一つの目的にだけ使用するため、脳が本来の機能を果たさなくなり、外界からの情報を捕えることができなくなってしまうのだった。現在の彼には、ルークの声も、自分自身の空腹も、既に感覚として捕えることが難しくなっていた。 「進捗状況はいかがですか? ……伯爵?」 鏡のように白く滑らかに光を反射するテーブルの上に、書物や何かを書き留めた紙切れが散乱している。書斎の主はそれらを読んでいるのか、作業に熱中するあまり、テーブルに食い込まんばかりに身体を俯せていた。形だけの声を掛け、その作業の成果と老人の顔を交互に覗き込む。全く動きを見せない様子に思い当たる節があったため、確認のため長い白髪をそっとどけ、こめかみに指を押し当てた。あえてその部位を選んだのは、先日、手首や首筋に手を伸ばしたところ、偶然意識のあった伯爵にお叱りを受けたからだ。 ――これは……。そろそろだとは思っていたが……。 先週辺りから昏睡状態が続いていたことは、中継の映像からも察していた。それでも、少しは期待していたのだ。どのような結果が現れるかと。腕輪の未来予知の能力が完全ではないことを承知の上だった。 ピタゴラス伯爵が神の書を手に入れ、解読を始めてからおよそ2年。その魔力に憑りつかれた結果、野望を果たせぬまま、当代のPOG総帥はお隠れになったのだった。こうして、白く年若い少年は、組織内で唯一のファイ・ブレインのギヴァーとなった。 既に息絶えた老人の遺した執念の痕跡を指先で掻き分け、軽く目を通したが、さほど興味深い情報は紛れ込んでいないようだった。ルークは小さく舌打ちすると、それらを無造作に掴み取り、暖炉の中へ放り込んだ。暖炉を焚き、それらがパチパチと音を立て、溶けるように形を無くしていく様子をしばし観察する。そしてテーブルの上に残された、植物の髄を絡み合わせて作られた古代の記録媒体を丁寧に丸め、元あったよう錻力の筒の中へ仕舞い、意味ありげに口角を上げた。 ――パズルタイムの、始まりだ。 □ ――「はぁ、『近々帰国してください』? 『ルート学園に特待生として編入を許可します……』、って、これオッサンの管理してる学校じゃねぇか。こういうのって、養子でも、息子は入学しちゃいけねえんじゃねぇのか普通……? しかも特待生って言っても、授業料が浮いて得するのは俺じゃなくてオッサンだろ」 POGジャパン・執務室の巨大モニターに映されたのは、黒髪の少年が行儀悪くベッドに寝転びながら、空に向かって何やら悪態をついている姿だった。クロスフィールド学院寮にて、大門カイトの部屋に設置したカメラから流れる映像の様子を、日本支部の総責任者は側近とともに見守る。 ――「時期は……げえっ! 9月まで待ってくれねぇのかよ。こっちはあと少しで義務教育終了だってのに。あるいはあっちの入学式に間に合うようにもっと早く声掛けてくれるとか、あるだろ……。もう4月じゃねぇし、随分中途半端なことしてくれやがる」 「予想通りでしたね、ルーク様」 「あぁ。伯爵の仰る通りになった。じきにカイトは帰国するだろう」 ルート学園、またの名をセクションφという。日本のとある地域に存在する、幼稚園から大学院までの全ての教育課程を揃えた私立の学園都市のことだ。POG直轄の施設のひとつであり、実質上のPOGギヴァー養成機関であることは在校生にすら知られていない極秘情報だが、パズルを用いた斬新な授業形態を特色としている事実については一般の市民にも広く知られていた。 学園長、解道バロンは現在セクションφの総責任者を務めるのと同時に、大門カイトの養父としての役割を伯爵より与えられている。カイトが寮の自室にて独り文句を垂れていたのは、養父から突然届いた手紙の内容を受けてのことだった。 ――「日本かぁ……。9年ぶり、だよな。最後の思い出は葬式だったし、こっちの方が長く住んじまった計算になるし、帰国って言われても複雑な気分だぜ……」 声のトーンを下げた黒髪の少年は、読んでいた手紙をベッド脇に投げ捨て、両腕を力なくベッドに放る。気だるげな様子で、何かを懐かしむような遠い目をした。 □ 解道バロンが、ルート学園裏に用意した迷路パズルへ、大門カイトを導いた。先日は想定外の事態が発生したとのことで、迷路の一部を修復する手間が掛かったが、このことによって彼がファイ・ブレインへの扉を叩かない未来が訪れるはずがない。その晩、POGジャパンの総責任者は早い夕食を済ませ、彼と一人の少女が薄暗い洞窟を潜っていく映像を、確信を抱いた眼差しで観察していた。 ――「私に任せて! こうして壁伝いに進めば必ず、……キャアアッ!」 ――「馬鹿! 罠が仕掛けられてんだよ! 勝手に動くんじゃねぇ!」 「…………」 付添いの少女による頭の悪い介入に少々の苛立ちを感じ、心の中で小さく舌打ちした。しかし、学習能力と記憶力だけは優れているようだ。一度失敗した後は補佐の役割を正確に果たしたので、彼女を始末する緊急性はないと判断した。 重く厚い扉を押し開き、大門カイトが祭壇まで到達する。ぼんやりとした照明に浮かび上がる曼荼羅の中央へ、引き込まれるように左の掌を合わせようとした、その時だった。 「……ッ!! ァ……!」 薄暗い執務室にて、テーブルの上に肘をつき、組んだ両手の上へ優雅に顎を乗せ、ガラス玉のような冷たい眼差しで中継を観察していた管理官は、突然、小さな呻き声を発した。 「いかがなさいましたか、……ルーク様?!」 「いや……、何でもない」 ビショップは、その答えを信じなかった。腕輪の能力を完全に制御したとされるその正統なる所有者が、僅かに身体を丸め、右腕を庇うように抱く姿は不自然だった。少年の声こそ冷たく澄んでいるが、そこには苦しげな喘鳴が混じり、異変を隠しきれていない。 「腕輪が、痛みますか。落ち着いて……、ゆっくり、お腹で呼吸をしてください」 忠実なる側近は抱えていたタブレット端末を素早く、けれども気品の感じられる動作でテーブルに置いた。すぐに、がたがたと全身を震わす華奢な骨格の少年を安心させるため、その肩を抱き締めようと背中に腕を回す。 「い、いらない……。大丈夫だ……」 大して力の入らない身を捩り、側近の拘束から逃れてもなお、ルークは青白い顔付きで、額にはじっとりと脂汗を浮かべており、荒い呼吸はしばらく静まらなかった。 「ルーク様……」 ――触らないでくれ……。な、んだ、……この感覚は。 2年前の神のパズル解放の際にも感じた、腕輪の強い共鳴反応。しかし、呼応が痛みとしてではなく、今回は震戦と虚脱感を伴う甘美な疼きとして現れた。いつしか味わった、熱い感覚を心のどこかで思い出す。この状況を側近に悟られることを恐れたルークは、できる限り息を殺し、自らの身体を護るようにして両腕を抱いた。 発作のような突然の感覚が治まった頃には、モニターの中のカイトは気を失い、少女に背負われて帰途につく最中だった。中肉中背の彼女が自分よりも上背のある男性を担いでいる事実に唖然とさせられながらも、先程の奇妙な感覚について思いを巡らせていた。 ――これが、伯爵の仰っていた、「対」ということなのか……。 人類の未来を掌握するギヴァーの少年は、先導者の遺した言葉の意味を、初めて知ることとなった。 ――でも、楽しみだね。……一緒に行こう。ファイ・ブレインの、世界へ。 ■next■ PR |
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