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2012 10,26 23:10 |
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POGジャパンは平和だった。 日本支部に来てから、ルークは愚者のパズルの製作を休止し、暫くは賢者のパズルに特化した戦略を立てていた。総責任者がパズルを自ら視察する機会はなく、設計、解答現場にも部下や末端のギヴァーが代わりに足を運ぶ。 賢者のパズルは愚者のパズルとは異なり、財が設けられている。財を相応しい解答者に与えるという性質上、行き過ぎた難度は好まれない。ルークは部下の手を借りて、パズルを常人のレベルにまで易化する作業に励んでいた。その作業を補佐するのがビショップと、3名の幹部だった。初めて顔合わせをした際の、それぞれの印象を思い出す。 「ル―ク様、マジお肌白いッスねえ! 日本でも日焼けしないように、なんか塗ったほうがいいッスね、それ。僕のダイスちゃんも変色しないように毎日お手入れ欠かせないんッスよ~」 道化師のような格好をし、おちゃらけた態度を徹底する青年・ダイスマンと、 「日本のことは、いつでも私どもにお尋ねください。美しい自然や素敵なパズルの名所にも沢山ご案内できますわ。春には梅林迷路、夏にはヒマワリ迷路、秋にはモミジ迷路、冬には椿迷路……」 金色のロングヘアと勝気な表情のよく似合う若い女性・メイズ、 「ルーク様が今まで以上に快適にお過ごしできますよう、尽力してまいります」 そして、唯一のネグロイドで貫禄ある巨体の中年・フンガ。 フンガはPOGに所属して長いのか、ビショップとは異なる性質の落ち着きが感じられたが、ダイスマンとメイズはビショップと同年代だろう。同様に、2人はPOGの好む白・黒・灰を基調としながらも、その衣服にうまく有彩色を取り入れており、見た目にも華やかだった。 平和だからこそ、時間を作ることができた。 「ファイ・ブレイン大門カイトを24時間体制で観察開始いたしました。クロスフィールド学院と学生寮にカメラを設置、ルーク様の端末から直接ご覧になることが可能です。こちらとは、およそ9時間の時差がございますので、ご参考ください」 「ご苦労」 執務室に2人の声が小さく響く。 2年後に、大門カイトは学院よりセクション・ファイの管轄へ移籍する。それまでの間にカイトを保護し、ファイ・ブレインの未来へと先導し、成長を促す環境を整備すること――、それが、現在のPOGジャパンに課せられた使命だった。組んだ両手の甲の上に顎を乗せながら、執務室のモニターを凝視する総責任者の少年の右の瞳は、そこに飛び込む光を鋭く反射させていた。 □ 相変わらず薄暗い内装で固めた寝室に、今度は執務室の物より一回り小さいモニターを設置した。異動に伴い、忘れずに手荷物として持ってきたあの写真とデジタルフォトフレームもあったが、あれから電化製品や通信機器の発展が目覚ましい。現代ではPCの壁紙に設定するのが、お気に入り画像のメジャーな鑑賞方法であるというのが、ルークの持論だった。スキャナーを手に入れた数年前に写真を取り込み、それからは専らデジタルでデータを用いていた。 業務用の大門カイト観察記録は既に膨大なデータが集積されていたが、自室で鑑賞するものは必ず、アップデートの資料ではなく、自分自身にしか知り得ない、業務とは無関係の過去のデータだった。それは日中の仕事を持ち込まない、というメリハリのある生活を送るための総責任者の自己メンテナンスなどではなく、もっと別の意味を含んでいた。 それに加え、側近から贈られたチェスセットを弄ぶというのが最近の、お決まりの夜の過ごし方だった。駒のひとつと同じ名を持つだけに、ルークにとってチェスは子どもの頃から特に気に入りのパズルの一つであって、一式はそれなりに揃えていた。しかし、幼少期に買い与えられたものは、両親と暮らした家に置いてきてしまった。ある日の休憩中にルークが眼を瞑り、盤上の位置を小さく呟いて空で遊ぶ姿を見かねたビショップが、「ルーク様にはご不要と承知致しておりますが、もし宜しければ、どうぞこちらを」と、最高級といわれる黄楊製の一式を、気を利かせて用意したのだった。特に断る理由の思いつかない少年は、素直にそれを頂戴することにした。 ――ファイ・ブレインは神のパズルを解放し、神の書を手に入れ、世界を、そして己自身を、意のままにすることができる。 「……『できる』? 虞(おそれ)がある、ということか」 人類のため、未来のため、世界のため、平和のため。結局は、自分のため。 人間は昔から変わらず、自分だけが得をしようと、特別になろうとして他者と争い血を流すことを、愛してやまない。 ――倫理・感情・常識を超越すること。 そのために、一度は身に付けねばならなかったもの。ルークは、それらを養うどの学問的知識と接したところで、それらへの理解と共感は別次元のものと捉えていた。 人々の醜い争いの歴史の描写で埋め尽くされた世界史。 現実と具体を恐れ、空想と抽象に走った結果の美術史。 完全な調和を生む理論の世界より逸脱し、歪を生じた音楽史。 平和主義を装った自己保身により、芸術として高められた文学史。 自然の理に逆らい、人間の欲を叶えることで崇拝されてきた医史学。 労働と危険を逃れるため新たな労働と危険を冒し続ける化学史。 「でも、そんなこと、できるはずがないのにね」 白のポーンを2歩進め、物言わぬモニターに陶然と語り掛けるその姿は、優雅な不気味さを纏う。 世界史と同様に、POGの長い歴史の中でも、神の書を巡って壮絶な争いが過去に幾度となく繰り返されてきたことを、ルークは「教養」として、知っていた。そして、教養として表面的に活用することはできても、そこに深い共感を覚えることはなかった。 「あぁ、馬鹿馬鹿しい」 POGが長い歴史を誇る――、その事実そのものが、つまり神の書の入手に失敗し続けてきたことを表しているのだから。 ピタゴラス伯爵が指揮を執る現在も同様に、ファイ・ブレインの彼はあの御歳にして未だ神のパズルの所在を掴めておらず、己の死期が迫るばかりだった。しかしルークは、人間が隠し、嘘を吐き、忘れ、思い出すことができるということも、知っていた。 「ならば、」 ――永遠の命を得ようとし、罪のない数多の生を失うくらいなら。 「僕のほうが、よほど正しい。……だよね?」 ――だから、待っていてね。カイト。 仄暗い部屋にモニターのバックライトが少し眩しいほどだったが、ルークは独り、確信した面持ちでそれを見つめる。チェスのせいだけではない、就寝前にも関わらず、少年の脳は極限まで活性化を起こしていた。 □ 「今日から、暫く戻らない。僕の代わりに、よろしく頼む」 「お任せください、ルーク様。お気を付けて」 ――御一人で、一体どちらへお出掛けに。 喉まで出掛かったその言葉を、辛うじて押し込む。 主人のペースを掴むのに、ビショップは苦戦していた。今回の外出も、目的や同乗者などそれとなく尋ねてみたものの、巧みにかわされてしまい、一切分からないままだった。それでも側近は恭しく礼をし、敬愛する主人の搭乗、離陸を見守ったのち、すぐに執務室へ戻った。 ――「ルーク・盤城・クロスフィールド。お前に重要な話がある。心して聞きたまえ」 神のパズルが見つかったと、伯爵は昨晩、確かにそう言った。ルークは逸る気持ちを抑えながら、次の言葉を待った。 「数日前から連絡が付かなかったことと思う。すまなかったな。万が一のこともある。今後はお前独りの判断で、これを使うとよい」 「……有難く、頂戴いたします」 伯爵が手元を操作すると、玉座が徐々に高さを下げ、目の前の長い階段が折りたたまれて平坦な道となった。高齢の身体を圧し、その道をゆっくりと進むと、親指の爪先ほどの大きさの、銀色に鈍く光る板状の何かをルークに直接手渡した。ルークは瞬時に、ただならぬことが起きたと理解した。 「これは……!」 「お前は私と同じ、ファイ・ブレインの子ども。いつの時代でも、世界中に数名は存在すると言われているが、対となりうるのは唯一人だ。いつか見せた、二つ巴のことをお前も覚えているであろう。その存在とお前自身を決して失うことなく、POGと人類の新たな門出を迎えられるよう、活動を続けたまえ。期待している。……それでは、今から私に付いてくるように――」 □ 赤道に近く、大変日差しの強い無人島。 周囲を海に囲まれ、湿度も高いのか、ただそこにいるだけで、呼吸が速く、浅くなり、汗が噴き出してくる。ルークは伯爵の許可を得て正装である白の上着を脱いだ。こちらの気候については事前に聞いていたので、日焼け止めを全身に塗布してあったが、この様子では汗で全てが流れ落ちるまでにものの数分とかからないことは明らかだった。伯爵の指示に従い、片手で庇を作り眼球を護りながら、照り返しも強烈な砂浜の上から幾分か涼しい木陰へ移動すると、彼の姿が見えなくなるまでそこで待機した。 辺りを見渡すと、かつては先住民がそこで生活を送っていたのだろう。神殿や人面を模した石の建造物が不完全な形で残されているのが散見されるが、今や廃墟と化している。それらの構造物は苔生し、蔦が這い、間を縫うようにして生え出た樹木は大きく成長し、人工の建造物など遥かに上回る高さまで伸びて黒々と枝葉を茂らせていた。 ――ここが、古より夢破れたファイ・ブレインの眠りし島。神に、運命に、愛されなかった者の最期に往き付く場所。 「……っ、……!」 地面からいびつに盛り上がった大樹の根に腰掛け自然の偉大さに圧倒されていると、突如、右上腕部に鈍い痛みが走った。 「腕輪が……、反応している」 オルペウスの腕輪が暗紫色に輝きはじめる。何か大きな存在と共鳴しているのだと、ルークは直感した。同時に、地響きのような轟音が島全体を覆う。木々に留まっていた極彩色の羽を持つ鳥たちは、鳴き声をあげながら一斉に飛び去った。 ――遂に来たか! ルークも立ち昇った土煙に咳き込みながら腰を上げ、先の指示通り、島の深部へと歩を進めていった。 遠くから聞こえる、結界の解放と、空前の規模となる最高の知の戦いの幕明きを朗々と宣言する声は、聞き慣れたピタゴラス伯爵のものだ。断崖や生い茂る草木の間で反響を繰り返し、幾重にも重なってルークの耳へ届く。 「待っていたぞ! 裏切り者の敗北者である貴様が人類の、そして我らPOGの未来のために、卑しく愚かなその身に余る能力の全てを投じ朽ち果てる、この日が来ることをな! 自らその役を買って出るとは、殊勝なことではないか!! 貴様の旧友も嘆いていたぞ!!」 それに答えるのは、姿は見えないが若く溌剌とした、信念と憤りに満ち溢れた男の怒声。極度の興奮によるものか、声が掠れており、所々聞き取りづらい。 「彼奴が何と言おうと、……、係ない! 俺は独りで、POGの……、いや、お前の野……を、食い止める!! 未来は、……のためじゃない、子どもたちのために!! 俺は死なない!! パ……は、裏切らない!! 絶対に!!!」 ――恐らく、あの声の主が、「真方ジン」。 かつてソルヴァーとしてPOGに籍を置き、ピタゴラス伯爵の期待を一身に背負いながらも、ある日突然脱退したという、異例の経歴を持つ男。そして、伯爵と対になる男。すなわち、ファイ・ブレイン。 ――大門カイトや僕と同様に、その信条とするところは、「パズルは」裏切らない、ね。 「よく分かっているじゃないか……。『人間は』いつでも裏切るということを……」 ――ジン自身が伯爵に背反したように。伯爵が僕を騙しつづけたように。そして、次は僕が…… ルークは自然と口元を歪ませる。彼の双眸、――禍々しい朱色に染まった左の瞳だけでなく、本来の色である空色の右の瞳までもが、爛々と暗い輝きを放っていた。 それだけではない。純粋に興味があった。自分と同じ信条を持ち、隠すことなく言い放つ、そのソルヴァーの編み出す解答の力強さと美しさと、奔放さに。 大地の揺れが次々と起こり、木の枝やら細かい砂やらが容赦なく頭上と背中に降り掛かる。ルークは上着を機内に置いてきてしまったことを今更後悔しながらも、姿勢を低くし、左腕で鼻と口元を覆った。目を細め、空いている右手で手近な岩や木の幹などを伝い歩き、揺れの発信源、2人の声のした方角へ湿っぽい土の上を一歩ずつ慎重に踏みしめ、近寄っていった。 10分ほど歩き続けた頃、木々の切れ間に光が差し込むようになってきたのが分かった。微かに聞こえてくる2人の怒声と振動が止んだのも丁度その頃で、高温多湿のせいだけではない嫌な汗を掻きながら、ルークは足早に日向を目指した。大きな茂みの最後の切れ目は、5~6フィートほどの絶壁となっていたが、視界の端に見慣れた白い粒をとらえると、ルークは構わず飛び降り、荘厳な白衣を纏った老人の元へと駆け寄った。 「……っ、……は、……ピタゴラス伯爵!! ご無事ですか!!」 伯爵は多少の白髪の乱れが目についたものの、目立った傷が見当たらず、一目で無事と分かった。腰を屈め、背中や長い振袖の裾の汚れをそっとはたきながら、ファイ・ブレインの白い少年は安堵の声を漏らしかけた。 「良かっ、……? 伯爵?」 しかし、同時に無事でないともとれた。伯爵は、錫を鍍金加工された黒い鋼でできた筒状の何かを必死の形相で握り締め、そのまま微動だにしない。 ――これは、一体…… 長い頭髪の分け目を丁寧に整え、伯爵の表情を注意深く伺うと、緋色に輝く左眼を除けば、欲望にまみれた一介の老人のそれと何ら変わることのない、ひどく醜く卑しい顔をしていた。伯爵のこのような表情は、かつて見たことがない。これほどの短い時の間に何が起きたのかルークには知る術を持たなかったが、今は何を話し掛けたところで返答を得られることはないだろうと判断した。 「何か、手掛かりになるものがあれば……」 あまり期待はしなかったが、状況を確認するため周囲を見渡す。すると、少し離れたところにも動かない男が1人、俯せになってぼろ雑巾のように転がっているのが目に留まった。 モンゴロイド特有の黄色い素肌に大きな白いシャツを着、その上から、ラベンダー色の半袖のカーディガンをゆったりと羽織っている。暗い青の七分丈パンツを穿き、足元には乾燥させた植物で編み込まれた和風のサンダルが、片方だけ脱げ落ちていた。ルークは過去に似たような風貌の日本人を目にしたことがあったが、あちらで流行している若者の装いなのだろうと判断し、特に気に留めなかった。捲れた左袖からは黄金色に鈍く光る腕輪が覗いている。間違いない。彼が伯爵と対戦したファイ・ブレインだ。 「生きて、いるのか……?」 その男をより子細に観察するために、ルークは駆け寄りその場にしゃがみ込むと、頸部に指先を宛がった。どうやら体温と脈はあるようだ。そして呼吸の有無を確認するため、刺激を与えぬよう注意深く身体を仰向け顔を覗き込んだところで、愕然とした。 「あ……、貴方は……!」 日に焼けて傷んだ、茶色の癖っ毛。愛嬌のある、小さな丸眼鏡。そして、口元の髭の、僅かな剃り残し。 ――何もかもが、懐かしい…… 彼は、旅をしていたという。世界中を、たった独りで。 彼は、あのとき英国を訪れた。そこで、僕たちと出逢った。 彼は、パズルの解き方を知っていた。僕たちを、迷路から救ってくれた。 彼は、パズルの声を聞くことができた。込められた思いを、的確に言い当てた。 彼は、子どもが好きだった。僕たちの写真を、沢山撮ってくれた。 彼は、僕たちに冒険を勧めた。グレートヘンジは、解けなかった。 彼は、哲学を好んでいた。人生は、パズルだと言っていた。 彼は、パズルを愛していた。パズルは裏切らないと、教えてくれた。 次々と、彼に関する記憶が呼び起こされる。同時に、かつて小耳に挟んだことのある「真方ジン」についての情報が思い出され、ようやくそれらが統合された。 「そうだったのか……。貴方が……」 閉じられた瞳の奥にはきっと、あの頃と変わらず、あの丘に吹くそよ風のように優しく軽やかで、あの丘で遊ぶ羊たちのように柔らかく無邪気で剽軽な、あの丘に聳える岩のパズルのように思慮深く哲学を感じさせ、あの丘に降り注ぐ陽光のように明るく温かいものを、宿しているのだろう。 「……青年、エックス……」 POGジャパン総責任者の少年は、失神したソルヴァーの青年の頭を、土で汚れた自身の膝の上へ抱きかかえ、俯きながら、ぼんやりと、その名を呟いていた。 ■next■ PR |
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