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2020 09,03 00:00 |
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+++ <終わってしまったことについて> なむあみはアニメにもゲームにも接していて アニメは一年前に最終回を迎えていたので、 ゲームの本編が終わってしまうこと、そしてサービス終了してしまうこと自体への喪失感は 私にとって、正直あまり大きくありませんでした 12章更新日には物語の最後に、サービス終了当日はログインできなくなった現実に 寂しさを感じましたが、徐々に慣れつつあります 諸行無常です ただ、これは連載作品でいうところの「打ち切り」に相当する終わり方 なのだろうなぁという無念さは、すこしあります 私が過去に接してきたすべてのゲームは、 ソフトを買った時点で、ひとつの、あるいは複数のエンディングが確定していました なむあみのような形態のゲームはそうではないのですね 制作に関わられた方々もさぞかし無念だったろうと…… 思いかけたのですが…… よく考えると、人生と同じではないでしょうか ここまでやりますと決めていて、予定通りに死ねる人はほとんどいません ゲームもそれでよいのではないかと なむあみは私たちにひとつの人生を見せてくれたのです <プレイ中の接しかたについて> こういう形態のゲームはソーシャルゲームというのでしょうか ほぼ初めてだったので、プレイしていく中で何度も戸惑いました 好きになれば二次創作したくなる……という私の性分、資料集めは執筆の基本です 運による要素が強すぎて ゲームを始めた時点でデータをコンプリートできる保証がない、 というのがなんとも心もとなかったです しかし、仏教には四苦八苦という概念があります そのうちの「求不得苦」がそういうものに含まれるのではないかと こういうものが煩悩のもととなっているのだとしたら、 あまり求めてはいけない、と自然に思い至り、 フルコンプ欲は私の中で大きな存在にならずに助かりました コンプだけでなく、イベントランキングも、周回も、神通ガチャも同様です 予算の範囲内で課金もしましたが、 確かにこれは煩悩と向き合うゲームらしさがあるなと感じました 一方、体調を崩してまでゲームにのめり込んでいったユーザーも目にしました 宗教を含む「心のよりどころ」と、 「頼っても、依存はせず、最終的には自立(自律)して生きていくこと」 の両立の難しさをまざまざと感じた瞬間も多くありました 帝釈天の結物語3話に、 やむをえない状況下で不本意な行動をとることでどうにか生き永らえてきた人々の話が 登場します アニメの7話もそれに含まれる状況だったと思いますが、 すでに依存が起きている場合、もう 両立の難しさとかそんなことを言っている段階ではないので ゲームが原因ではないとはいえ、倫理的な責任や、打開までの根深さを想像して ただただ、つらい気持ちでした <ゲームとしての性能について> 基本操作は不便でやりづらかったですが、 私はそこはどうでもよいと思っていました 学生時代に大好きだった倫理の授業で教わってきたことの復習と、 新たな内容を知ることができただけで私は満足でした ただ、日々のログインボーナスあるいはお勤め報酬に、宝珠などだけでなく、 ありがたいお言葉などがあったらさらに嬉しかったです せっかくの仏ゲームなので、観音勢至や迦楼羅の結物語、組合せ会話以外に 毎日ログインすることで説話や概念に触れられたらもっと好きになれたのですけど、 まあそういうのは別のアプリが既にあるでしょうから、 求めすぎはよくありませんね 腹八分目でよいのです <ストーリーについて> 本編: アニメの展開と要所要所が似ていて、 とても工夫して書いてくださったんだなと感じていました 帝釈天と阿修羅の因縁の具体的な内容が 明かされずじまいになってしまったのが、唯一気になります 結物語の「まさか……俺を売ったのか!?」はあくまできっかけで、 あれ以降のなにかでさらにこじれたわけですよね 個人的には、サタンの過去にも興味がありました いい人そうなので 天界で仏たちを襲い……帝釈天からはガキ呼ばわり……阿修羅、何やったの? 子ども好きで働き者のアニメ版阿修羅とは打って変わり、 ゲームの阿修羅はぐうたらで 人を殺すわ神を殴るわ仏に喧嘩売るわでやりたい放題でしたよね でも、彼には彼なりの正義があり、 アニメでは誘惑に乗ってしまったけれども、ゲームではマーラの誘いを断って 逆に単独でマーラを追っていたんですよね 逞しい 続きはまたの機会に熱弁振るいます イベント: もちろん帝釈天・梵天・阿修羅推しの私は仏の一念が一番好きでした 梵天が阿修羅を追いかけて引き留める辺りの会話、よかったです それと、帝釈天の「なぜ俺がいると来ないんだ?」の辺り、 自覚なさすぎて笑ってしまいました そういうところだよ…… その3仏関連では、忘年会、クリスマス、年末年始も好きでした あとはロボットコンテストで暗躍した帝釈天(と広目天)も好きでした それから、単体推しの伊舎那天は、活躍の場面が多くて嬉しかったです イベント神通は1枚ですが、イベントへの登場率はけっこう高かった印象があります 人魚イベントでは、釈迦とともに風天の正体に知らないふりを通しぬき、 ヤバめな人魚像を作ったり、毒の治療をしてくれたりと 大活躍してくれましたね ありがとう ホラー好きとしてはホワイトデーも印象的でした 異空間に閉じ込められて、持ち物を奪われ、身体がじわじわと変化していく恐怖…… たまりませんでした そして、小テストで一位を取るとモテる学校、なんて良い子たちなんでしょう もちろん広目天は性格の良さも加味されて、なのでしょうけれど しかし、なんといってもザ・なむあみ、と感じたのは花まつりでした! 釈迦のワガママ炸裂は最高におもしろかったです そして大人の仏が多い中釈迦の止め方が揃いに揃って下手で ちょっとみんなしっかりしてよと思いましたが、 難陀が想像以上にああいう対応が巧くて驚いた記憶があります まあ、でも、思い返せば難陀は気難しい相手に比較的寛容でしたよね さすがです <最後に・今後のこと> ここまでお読みいただきありがとうございます なんとなく感じていただけると思うのですが、 あらためて、私はもう寂しく感じていません それは、彼らのことがどうでもよくなってしまったからではなく 出会えたこと自体が喜びで、すでに彼らは私の心の中で生きているからであり、 彼らの心身という概念は、天界に帰って皆せっせと働いています アニメ版ベースの仏会議のように、ブッダフォンみたいなものができれば 今後ゲーム版の仏さまたちとも交信できるようになるのでしょうけど、 まあ、衆生に危機が迫らない限り来ないって言っていましたから 便りのないのはいい便り、なのでしょうね うん なむあみに出会えて世界が広がりました 新しい楽しみと、苦しみを知りました 制作に関わってくださったかたがたや、仏さま、 一緒に楽しんでくださったファン仲間のみなさまに感謝いたします ファンとしてのジャンル滞在は、私はもうしばらくここにいます お寺や仏具関連のお店とコラボしてくださる可能性はあるのだと思いますし、 私がアウトプットしたいこともまだたくさんあります 今後もお付き合いいただけるかたはどうぞよろしくお願いいたします PR |
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